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「涙が出るごた…」 『西スポ』最後の紙面 3月31日で新聞休刊 “68年間ありがとう” デジタル版へ

暮らし

2023/03/31 19:07

発行から68年。

プロからアマチュアまで九州のスポーツを厚く報じてきた西日本スポーツが、3月31日を最後に新聞発行を休刊し、デジタル版に移行します。
◆シマダ宝飾店 嶋田高幸さん
「二十歳前後から読んでいるからね。新聞を見ないと具合が悪い。タブレットとか見るけどそれは良くない」

福岡市博多区上川端町で宝飾店を営む嶋田高幸さん(82)。

西スポが創刊した頃から購読している愛読者です。

そんな嶋田さんが一番印象に残っていると話す紙面があります。
◆シマダ宝飾店 嶋田高幸さん
「ホークスがこっちに来て初優勝したじゃない?」
◆記者
「これですか?」
◆シマダ宝飾店 嶋田高幸さん
「これこれ。6時ぐらいから早起きして(新聞を)待っていた。何回見ても良かった」

そんな嶋田さんに西スポの休刊について聞いてみました。

◆シマダ宝飾店 嶋田高幸さん
「(休刊は)残念どころじゃないよ。涙が出るごた…」
西スポは1955年2月21日に九州初のスポーツ新聞として誕生しました。

当時紙面の中心を飾ったのは、ホークスではなく野武士軍団と呼ばれていた西鉄ライオンズでした。
創刊1年後にはライオンズの日本一の記事が踊ると、その後、ライオンズは日本シリーズ3連覇を達成し、平和台球場は連日超満員!

まさに黄金期を迎えていました。

西スポはライオンズと共に歩みを進めていました。
そして、1988年、紙面の主役がホークスに変わると現在は毎日1から3面までホークス一色。

そのほか、地元スポーツも掲載し、他社を寄せ付けない情報量で読者に親しまれてきました。
そんな西スポで長年ホークスを取材してきたのが、西日本新聞社のスポーツ本部長、富永さんです。

◆西日本新聞社スポーツ本部 富永博嗣 本部長
「『また負けタカ』『また連勝逃げた、ダイちょんぼ』。本当に優勝するようなチームじゃなかった」
「停滞ダ線 工藤見殺し」

当時、富永さんが取材していたのはホークスが低迷していた頃。

紙面には厳しい言葉が並びました。
実はそうした記事の背景には、ある人とのやりとりがあったといいます。

◆西日本新聞社スポーツ本部 富永博嗣 本部長
「(王監督から)『君たちは選手の尻をたたく記事を書いてくれ、ちやほやしていたらローカルスターで終わってしまう』と。王さんが来られて『勝つんだ』って選手たちに説き続けた。最初は熱さについていけないところもあった。それが徐々に選手たちに浸透していった。僕らもそういう気持ちになっていくことがあった」
当時の王監督の言葉に刺激を受け、時には厳しい言葉でホークスに発破を掛けた西スポ。

そして、王さんの言葉が現実になったのは1999年の時でした。

◆初優勝決定の瞬間
「王監督、笑顔!王監督、笑顔!福岡ダイエーホークス、球団創立11年目、悲願の初優勝」

◆西日本新聞社スポーツ本部 富永博嗣 本部長
「ずっと王さんも『勝つんだ、勝つんだ』とおっしゃっていて、本当に優勝するもんなんだって」
<西スポ 最後の1日>
◆スタッフの会話
「ソフトバンクは全体練習です」
「正木に40打席のチャンスってどういう意味ですか?」
「正木を見出しに取るってわけじゃなくてー」

紙面編集最後の一日が始まりました。

◆西日本新聞社スポーツ本部 富永博嗣 本部長
「特別な考えとか特にない。普段通りじゃないと逆にいけない」
そうした中、編集部を慌ただしく動く一人の男性がいました。

一面の見出しを担当する佐藤泰輔さん。

一面はまさに新聞の顔です。

開幕戦を迎えるホークスをどう伝えるかー

◆西日本新聞社スポーツ本部 佐藤泰輔さん
「WBCの侍ジャパンを彷彿させるような打線に。それをぱっと見てわかるように」
新聞ならではの一面。

佐藤さんの案を元に編集幹部で議論します。

◆スタッフの会話
「侍型の打線って言った方がイメージしやすくはあるんですよね。あのヌートバーから始まる打線」
「世界一仕様?世界一仕様超攻撃型打線かな」
「漢字ばっかり」
「世界一仕様って何ですか。なんかいまいち…」

議論は締め切り間近まで続きました。
今回、最後の紙面は、通常の紙面に加えて特集ページが付きました。

ライオンズやホークスの優勝の記録ー。

さらには往年の選手へのインタビュー記事。

そしてメインは王さんへの取材記事でした。

<最後の紙面 インタビュー記事より>
◆西スポ側
『西スポはチームのお役に立てましたか?』

◆福岡ソフトバンクホークス 王貞治 会長
『絶対役に立ってますよ』
「最初のうちはあまりいいことを書いてくれなかったけど…』
『こっちも発奮したよね』

<ここまで記事>

◆西日本新聞社スポーツ本部 富永博嗣 本部長
「地元紙として役割を果たせたのかなと。(自分たちも)王さんに育ててもらった」
そしてー

▼スタッフ
「降ろしました!お疲れ様でした!拍手」

そして、最後の紙面が輪転機で印刷されました。
▼西日本新聞社 柴田建哉 社長
「西スポの68年の歴史の感謝するとともにー乾杯!」
最後は全員でできあがった新聞に目を通します。

最後の一面はー

「藤本ホークス侍型打線」。

左上には西スポらしく読者の目にとまるようにV奪還した侍ジャパンと比較した写真が並んでいます。
これまで発行すること2万4000号以上ー。

デジタルに移行しても記事を作る情熱と原点への思いは変わりません。
◆西日本新聞社スポーツ本部 富永博嗣 本部長
「よそよりも九州のスポーツに関して熱意を持って追いかけてきた。(西スポの)一番の魅力だと思うし、デジタルになってからも変わらない。これからも追いかけていきます」

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